ドイツとフランス、文学と絵画をめぐる音の旅
9月21日(土)、大阪・豊中市立文化芸術センター小ホールで開催された宮本聖子さんのピアノリサイタルに伺いました。
モダンな雰囲気の素敵なホールで、隣では市民管弦楽団のコンサートも行われており、多くの人で賑わっていました。
聖子さんが2020年から取り組んでいるリサイタルシリーズ「ベートーヴェンとともに(全8回)」は、今回で6回目。
テーマは「ドイツとフランス」、裏テーマに「文学的なものと絵画的なもの」を掲げ、音楽でその対比を描く試みでした。
聖子さんとは同じコミュニティで学ぶ仲間でもあり、このリサイタルシリーズに今回初めて伺うことができ、とても楽しみにしていました。
プログラムは以下の通り。
・J.S.バッハ《平均律クラヴィーア曲集第2巻》第6番 ニ短調 BWV875
・ベートーヴェン《ピアノソナタ第17番 ニ短調 作品31-2「テンペスト」》
・シューマン《アベッグ変奏曲 作品1》
・ドビュッシー《前奏曲集 第2巻》
ベートーヴェンを軸にしながら、バッハ、シューマン、ドビュッシーと幅広い選曲。聴く前からワクワクが止まりませんでした。
前半(バッハ〜シューマン) :ドイツの重厚さと自由な遊び心
最初のバッハはやや硬さを感じましたが、後で「鍵盤の奥半分が真っ暗で見えなかった」という照明トラブルがあったと知り納得。それでも全く動じず、音を一つひとつ積み上げていく姿勢に感服しました。
続くベートーヴェンでは一転、重厚でありながらも伸びやかな響き。
疾風怒濤の第1楽章、安らぎと浄化に満ちた第2楽章、そして難聴という運命を受け入れる悲壮感や葛藤を思わせる第3楽章。そのドラマチックな展開を完全に自分のものとして弾き込んでおり、とにかく圧倒されました。
シューマンはさらに表情を変え、チャーミングで遊び心あふれる曲想を、自由に遊んでいるように表現。高度な技巧を要することを全く感じさせず、聴衆を非日常の世界へ誘う吸引力がありました。
そして、私が特に心を奪われたのは低音の響き。
多くのピアニストが低音をやや濁らせがちな中、聖子さんの奏でる低音は「ここぞ」という場面で潔く鳴り、体の奥まで突き抜ける爽快感をもたらしました。
また、何より驚かされたのは、ここまで全くミスのない演奏の精度。どれだけ丁寧に準備されてきたのかが伝わり、深く感動しました。
後半(ドビュッシー) :色彩で描く音のキャンバス
「ピアノってこんなに音色が変わるのか」と驚かされるほど多彩な色彩感に圧倒されました。
なるほど。ドイツとフランス、文学と絵画というテーマはこういうことだったのか、と深く納得。
音で完璧に描き分ける聖子さんの表現力の幅は圧巻でした。
絵画との組み合わせによる演出もわかりやすく、プロジェクターに映し出すタイミングも絶妙。
あとで伺ったところ、スライド操作の工夫はご協力の方のアイデアによるものだったそうです。こうして協力してくださる方に恵まれているのも、聖子さんのお人柄の賜物だと感じました。
ただ、40分近い演奏では観客の集中力が切れる場面もあり、客席では物音が増えてハラハラする瞬間も。
ビニール袋の音やプログラムをめくる音、小さなお子さんにイライラする人の姿も見られ、聴く環境をどう整えるかは企画側の課題だと実感しました。
真のプロフェッショナリズムに触れて
このリサイタルは、内容的には8,000〜10,000円の価値があると感じました。それほどのクオリティでありながら、まだ広く知られていないのが本当にもったいない。
隣のホールには市民オーケストラを聴きに多くの方が訪れていました。
一緒にいた私の母がそれを見ながら、「プロの演奏を聴くことは、自分のためにもなるのに」とぽつり。
音楽の楽しみ方は人それぞれですが、プロの舞台から得られる体験はやはり特別だったようです。
そして何より強く感じたのは、「準備の深さ」の違いです。
自分が「これくらいで十分」と思っていた水準が、まったく足りていなかったのだと痛感。
教育者でありながら、同時に現役の演奏家として活躍する方の凄みを思い知らされ、圧倒的な準備のレベルの高さに一流のプロフェッショナリズムを感じました。
ご自身で主催された公演ということもあり、本番前に色々と悩んでいた姿を知っていただけに、なおさら心からのブラボーを送りました。
おまけ(鉄道好きの心も満たされた旅 )
ちなみに今回は、鉄道好きとしても大満足の旅でした。
初めて近鉄特急「ひのとり」に乗って難波へ向かい、阪急大阪梅田駅では日本一の規模を誇る頭端式(行き止まり式)ホームを見学。
さらに阪急電車の特別シート「プライベース」にも乗車できて、音楽と鉄道を同時に堪能できる大充実の一日となりました。
おわりに
聖子さんのリサイタルに伺って、「自分を見限っているのは自分自身だった」と気づかされました。
「自分はこのくらいでいい」「こんなもんで十分」
そう思うことと、適切に自分を認めることは全く別物です。
この日に向けて緻密に、丁寧に積み重ねられた準備の成果が、聖子さんの音楽から伝わってきました。
その姿に触れ、「私にももっとできるかもしれない。できるはず。」そんな勇気をいただけた気がします。
音楽家として、そして一人の聴衆として、大きな学びをいただけた時間に、心から感謝しています。

