「好かれよう」としなくなった今のほうが、好かれている
あなたは、他人から好かれていますか?
また、他人から好かれることは必要だと思いますか?
私はこの質問に、ずっと自信を持てずにいました。
今も、自信があるかと聞かれたら「?」ではあります。
ただひとつ言えるのは、
他人から好かれているかどうかに、以前ほど関心がなくなった今のほうが、
昔の自分よりも「好かれている感覚」があるということです。
それは、なんでもかんでも人に合わせるのではなく、
「精神的に自立する」ことが、少しずつできるようになってきたからだと思っています。
人はなぜ「好かれたい」のか|生きやすさと人間関係の話
人間誰でも、周りの人から好かれたい、愛されたいという気持ちを持つことは、自然なことだと思います。
なぜなら、人は一人では生きていけないから。
一人で生活することはできるかもしれません。
でも、他人と良い関係を築けるかどうかで、生きやすさは大きく変わります。
私はフルート奏者として活動していますが、
演奏活動を続けるためには、他人との関わりが欠かせません。
たとえ、共演者を伴わない無伴奏のコンサートをやるとしても、
コンサートの運営には、お手伝いなど、必ず誰かの力を借りることになります。
本当の意味で一人で完結できる活動があるとすれば、
一人で動画を撮ったり、話したりするくらいでしょう。
そう考えると、「仕事のやりやすさ」という観点から見ても、
人から好かれているという状態は、確実に仕事の出来に影響します。
さらに、人には「他人から好かれたい」という根源的な欲求があります。
それが満たされている環境と、そうでない環境とでは、パフォーマンスも違ってくると思っています。
「好かれている人」の正体|信頼されている人の共通点
では、「人から好かれる」とは、具体的にどういうことなのでしょうか。
私が「この人は好かれているな」と感じる人の特徴を挙げてみます。
・優しい
・一緒にいて楽しい
・一緒にいると学びがある
・気配りができる
・相手の状況や環境を配慮できる
・他人の悪口を言わない
・リスペクトがある
・自分の限界を知っている
・仕事ができる(連絡が取れる、責任を持ってやり遂げる、etc…)
こうして並べてみると、「誰にでも好かれようとする人」というより、
「信頼されている人」の特徴でもあると感じます。
合わせすぎた結果、残ったもの|疲労感と未達成感
私自身も、できれば人に好かれていたいと思っていました。
だから、相手のことを考えて行動してきました。
・相手の予定に合わせる
・相手の好みに合わせる
・相手がやりたいと言ったことをやる
・理不尽だと感じることも、飲み込む
・クッション言葉は、いつも「すみません」
これらは社会人として、ときに必要なことでもあります。
実際、信頼される機会は増えました。それ自体は、良い変化だったと思います。
ただ、そのとき自分の中に残ったのは、
かすかな疲労感と、なぜか満たされない感覚でした。
「好かれている」は幻想だった|波風を立てないだけの関係
振り返ってみると、それは
「好かれていた」というより、ただ波風を立てていなかっただけだったのかもしれません。
・自分を押し殺して、行きたくない場所に顔を出す。
・自分がやりたいと思っていないことを引き受ける。
・もらったから返す、断れないから応じる。
これらはすべて、相手のためにしているようでいて、
実は「悪く思われたくない」という、内向きの動機からの行動でした。
その場の空気は穏便に済みます。
関係性も、表面上はうまくいきます。
ただ、そうやってちょっとずつ積もり積もった「小さな我慢」は、
いつの間にか、わたしの笑顔を奪い、
「いつも怖い顔で頑張っている人」になってしまった気がしました。
人に合わせているはずなのに、
どこか孤独で、余裕がなくなっていく感覚です。
以前、仕事の現場で、演奏と同時に、
場の進行や、その前後の細かな調整にも
意識を向けなければならない状況がありました。
そのとき私は、演奏に入る前から気を張り続けていて、
本来なら演奏に向けて整えておきたい集中力や余白を、
別のところで使い切っていたのだと思います。
良かれと思って動いているうちに、
「演奏すること」以外の部分に多くのエネルギーを使いすぎていたようです。
結果として、 自分が勝手に先回りしすぎて疲れ果ててしまい、
その状態で自分の演奏に集中することはとても難しかったのです。
「自分は今、何に一番エネルギーを使うべきなのか」を
考えさせられた出来事でした。
この経験から、なんでもかんでも人に合わせていると、
自分のパフォーマンスを発揮できなくなることを知りました。
仕事で求められているのは何か|「合わせる人」ではなく「共有できる人」
ここで改めて、「仕事上で人から好かれる要素」を考えてみると、私が感じている限り、求められているのは、こんなことではないかと思います。
・連絡が滞らない(返信・反応がある)
・仕事への温度感を共有できる
・状況を正確に把握している(説明コストが低い)
・パフォーマンスの前提が一致している
・感情と仕事を切り分けられる
このなかには、
・愛想がいい
・優しい
・なんでも聞いてくれる
などの感情的な「好かれ要素」は一切ありません。
結局、
・仕事が回るかどうか
・一緒にやってストレスが少ないか
という点のほうが大事で、
必要なのは、合わせることよりも、
「共有できる人であること」なのではないでしょうか。
「都合のいい人」になるな。好かれるより、共鳴せよ
こうした思考を経て、最近よく思うことがあります。
私は、「好かれよう」とするあまり、
誰かにとっての都合のいい、波風を立てない人になろうとしていたのではないか、ということです。
でも、そういう人を自分が好きになれるかと聞かれたら、「?」です。
だってそこには「能動性」がないから。
誰でも、おんぶに抱っこの関係を築きたいわけではありません。
「好かれること=誰かにくっつくこと」そう思っている限り、
本当の意味での良い関係は築けないと思いました。
必要なのは、「共鳴する」能力や思想。
「精神が自立した人」こそが、本当に人から好かれる人なのではないかと、今は思っています。

