私自身、音大を卒業してからの道のりは決して一直線ではありませんでした。
だからこそ、『音大卒は武器になる』という本に書かれていた言葉たちに、頷く場面も、立ち止まる場面もありました。
音大生が音楽を学ぶ中で、一般大学の学生にはない優れた能力を身につけていること。
そしてそれが、本人の想像以上に一般社会で役立つ可能性を持っていることに、「気づいてほしい」という願いが込められていると感じました。
しかもこの本の著者は、音大出身ではない方。
企業での勤務経験を経て音大の就職支援に関わってこられた方が、ここまで音大生の価値を認め、丁寧に向き合ってくださっている。
これは、私たち音大出身者にとって、本当にありがたいことだと思います。
「自分は社会不適合者かもしれない」と思っていた過去の自分へ
実際、音大生は20年近く音楽ひとすじで生きてきた人が多く、「自分は社会不適合者だ」と思い込んでいる学生も少なくないのではないでしょうか。
私自身もまさにそうで、「自分が組織の中で働くなんて無理」と勝手に決めつけていました。
ところが、いざ中途採用で会社に入って働いてみると……
あれ? 楽しい。思ったよりずっと働きやすい。むしろ、すごく馴染んでいる(笑)。
「会社員って最高じゃん」と思っていました。
最初からこの選択肢を除外していたことを振り返ると、本当に視野が狭かったなと感じます。
本書では、「社会人として安定した生活を送るにはどうしたらいいか」という問いに対し、「就職」という選択肢が一つの答えとして示されています。
それはとても現実的で、多くの音大生にとって大切な視点だと思いますし、私自身、共感できる部分も多くありました。
でも、「就職だけが正解」とは言い切れない
ただ一方で、多くの音大生の本音はこうではないでしょうか。
「音楽で、お金を稼げるようになりたい」。
正直、私が大学生の時にこの本を読んでいたとしても、就職という道をすぐに選ぶことはできなかったと思います。
それは「夢を見ている」ということではなく、「まだチャレンジしたいことがある」からです。
こういったところで、実際に音大に通う人の気持ちのリアルとは、ズレを少し感じたのも事実です。
以下は、私が違和感を覚えた点について、率直な感想を書かせていただきます。
著者の立場と、そこから見える世界
著者の大内孝夫先生は、慶應義塾大学経済学部を卒業され、大手銀行で支店長を歴任。
その後、武蔵野音楽大学の就職課を経て、現在は名古屋芸術大学で教授を務めていらっしゃいます。
そのご経歴からも、「音大卒」の当事者の視点とは少し異なる立場から書かれている内容であることがうかがえます。
本書の中には、
私自身が臆病な性格のせいか、つい30代で結果が思わしくなくなった場合はどうなるのかと考えずにはいられません。悪い方向に向かう可能性ばかり考えてしまう
という一節がありました。
読み進めるなかで、大内先生のエニアグラムのタイプもだいたい把握できたのですが、著者ご自身の思考の軸は、「不安要素を想定して備えること」。
だからこそ、フリーランスのように将来の不確定要素が多い働き方には、慎重な立場を取られているのだろうと理解しました。
音大生のリアルと、ややズレを感じた視点
本の中では、「演奏家として生きるのは狭き門。だから現実的に考えて就職を」という趣旨の提案が多く見られます。
教員、保育士、警察官、自衛官など、音大卒が目指せる職業もいくつか紹介されていました。
ただ、それらについてもいずれも「狭き門」「不安定」「賃金が低い」などの懸念点が強調されており、全体的にチャレンジ前から慎重になりすぎてしまう印象を受けました。
そもそも音楽とはあまり関係のない就職先に対して「本気で取り組め」と言われても、音楽をやりたくて音大に進んだ立場からすると、モチベーションが湧きづらいこともあるのではないかと感じます。
就職をすることで得られるメリットなども挙げられていましたが、「自衛隊なら女性が少ないから高嶺の花になれる」といった記述や、「専攻別に向いている職業」の紹介についても、 個人的にはあまりピンときませんでした。
音楽が少しでも絡んでいればなんでもいい、というわけではなく、「自分を生かせる仕事がしたい」と考えている音大生はきっと多いはずです。
音楽で生きる道は、そんなに閉ざされている?
多くの人が、もっと自分らしい生き方や働き方を求めて模索しているのではないでしょうか。
本書の中には、たとえばアルバイトしながら演奏を続けている人、教職員の臨時採用で生活している方などに対して「最初は良くても30代で行き詰まる」「最初の選択を誤るとリカバリーが困難になる」という趣旨の記述もありました。
しかし現代では多様な働き方が広がっており、年齢に縛られずにチャレンジを続けられる環境も増えていると私は感じています。何度でも方向転換できる社会になってきていると思います。なにより、フリーランスとして演奏活動を続けながら、自立した生活を築いている人を、私は何人も知っています。
たしかに、社会で自立して生きていくためにどのくらいの生活費が必要で、それをどうやって稼ぐかを数字で見つめることは、非常に大切な視点だと思います。
ただ、読み進める中で、「演奏で稼ぐのは難しい」とする考え方が強く出ており、それが読者によっては「やっぱり音楽ではやっていけない」と感じてしまう要因になってしまう可能性もあると感じました。
「レベルを見極めて現実的に」と言われても…
「適当なところで現実を見つめよう」「自分のレベルを受け入れよう」というアドバイスもありました。
もちろん、冷静な自己分析は大切です。
しかし私のように普通高校から音大に進んだ人間にとっては、大学に入ってようやく本格的に音楽に打ち込めるようになった、というケースも多いわけで、1〜2年で「レベルを客観的に見て判断しよう」と言われても、なかなか受け入れきれないものがあるのではないかと思います。
本気で取り組み始めたばかりなのに、そんな簡単には割り切れないと思います。
「親に負担をかけたくない」は呪いになることもある
また、就職を選んだ卒業生の声として、「これ以上親に迷惑をかけたくない」「地に足をつけたい」といった言葉も登場しました。
そして、実際に苦労している音大卒業生の例を「ありがちな失敗例」として紹介していました。
もちろん、親を思いやる気持ちや、自立したいという意志はとても尊いものです。
何を以て成功とするか、その価値観によって見え方も変わってくるとは思います。
しかし「音楽を続ける=親に負担」「夢を追う=不安定」といったイメージとともに語られてしまうと、
それはまるで、好きなことを追いかける人が「間違っている」と言われているようにも感じられて、少し悲しくなりました。
「好きなことを追いかける=甘え」という思い込みは、音楽を志す人にとって、時に呪いのようにのしかかるものです。
それでも、この本がくれた大切な問い
本のタイトル『音大卒は武器になる』は、「音大卒は(普通の人として社会に溶け込む上で)武器になる」という意味で、内容としっかり合致していると思います。
音大生が社会で活躍するための道筋として、就職という現実的な選択肢を丁寧に示してくれる本です。
音大卒が社会で通用する力を持っているという、心強いメッセージでもあります。
しかし音大卒であることを武器にして「戦う方法」については、あまり深くは描かれていないように感じました。
そのため、そこを期待して読むと、少し肩透かしに感じるかもしれません。
おわりに:音楽を続けたいあなたへ
とはいえ、この本が出版されたのは2015年。
そこから10年が経ち、コロナ禍を経験し、社会の価値観も大きく変わってきています。
何をもって「成功」とするのかにもよると思いますが、「風の時代」「個の時代」と言われる今は、むしろ音大生のようにクリエイティブな環境で鍛えられてきた人たちが力を発揮しやすい時代が来ていると感じます。
これからは、安定を“もらう”のではなく、「自分で仕事をつくる力」が求められていく時代。
終身雇用が約束されなくなった今、複業という考え方が当たり前になってきています。
音大卒は不安定。たしかにそうかもしれません。
だからこそ、収入の柱はいくつもあったほうがいい。
その一つとして、演奏やレッスンで収入を得ることができるなら、
それはまさに音大卒だからこそ築けるキャリアのかたちではないでしょうか。
音大卒であることを本当の意味で“武器”にできるフィールドは、たしかにあります。
『音大卒は武器になる』は、音楽を志す人が現実と向き合いながら、「自分はどう生きたいのか?」を改めて問い直す、よいきっかけになる一冊でした。

